戸籍制度の変遷
明治元年10月、京都府で「京都府戸籍仕法」が制定されました。翌年明治2年には各府県にその京都府戸籍仕法が頒布され、戸籍の編成については京都府戸籍仕法を見習うように指示がなされました。東京においても同年に「東京府戸籍令」(当時はまだ「東京府」)が制定されましたが、京都の戸籍とも若干違っていました。
全国統一の中央集権政治を実現しようとする明治新政府にとって、国内の総人口を把握することは重要かつ急務でしたが、各府県がバラバラに戸籍を編成していたため、正確に調査することはできませんでした。その数年後、全国統一様式の戸籍が誕生していきました。
明治5年式戸籍
(「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治5年2月1日施行)
日本で最初に全国統一様式の戸籍制度ができたのが、この「明治5年式戸籍」になります。この戸籍は実施の年が壬申の年だったので、一般に「壬申戸籍」(じんしんこせき)と言われています。戸籍の編成単位は「戸」で、本籍は住所地とされ、身分登録とともに住所登録という性格もあったため、現在の住民票の役割も果たしていました。
明治19年式戸籍
(「戸籍取扱手続」明治19年10月16日内務省令第22号、「戸籍登記書式等」同日内務省訓令第20号)
戸籍様式、戸籍制度の改革により、本籍の表示は住所とするという点は明治5年式戸籍と同じですが、屋敷番制度ではなく地番制度が採用されました。そして、それ以前は除籍という概念がなかったのですが、この戸籍から除籍制度が設けられました。
明治31年式戸籍
(「戸籍法」明治31年6月15日法律第12号同年7月16日施行・「戸籍法取扱手続」明治31年7月13日司法省訓令第5号)
明治31年に制定された民法(旧民法)で、「家制度」が制定され、人の身分関係に関しても詳細な規定を設けられることになりました。それらの事項を登録できるようにするために、戸籍の内容に変化が生まれ、「家」が戸籍編成の基本単位とする戸籍制度の開始されました。
この戸籍の大きな特徴は、戸籍簿の他に「身分登記簿」制度を設けたことになります。身分関係の届出や報告はすべてこの「身分登記簿」に記載されるようになりました。そしてそれらの事項を戸籍簿に書き写すという手間のかかる制度だったため、大正3年戸籍法によって「身分登記簿」は無くなることとなりました
大正4年式戸籍
(「戸籍法改正法律」大正3年3月30日法律第26号・「戸籍法施行細則」大正3年10月3日司法省訓令第7号、施行大正4年1月1日)
「身分登録簿」を廃止したことによって、記載内容が詳細になりました。それまでの明治31年式戸籍は改製することなくその効力が認められました。混在していた「明治19年式戸籍」はこの「大正4年式戸籍」に改製すべきと決められたものの、その改製作業が行われないままになったものが多くありました。
昭和23年式戸籍
(「戸籍法を改正する法律」昭和22年12月22日法律第224号・「戸籍法施行規則」昭和22年12月29日司法省令第94号、施行・昭和23年1月1日)
この戸籍が現在の戸籍に直結する戸籍になります。昭和23年式とありますが、それまで以前の戸籍が実際に改製されたのは昭和32年頃になります。
昭和22年の民法改正により「家制度」が廃止され、男女の平等、個人の尊厳が基調となり、戸籍の編成も夫婦単位となり戸籍の様式も変更することになりました。
平成6年式戸籍
(平成6年法務省令第51号附則第2条第1項による改製)
現在の昭和23年式戸籍も戸籍のコンピューター化が実施され、改製され、電算化されていない戸籍は「平成改製原戸籍」(かいせいげんこせき、かいせいはらこせき、はらこせき)と呼ばれています。様式もB4縦書きからA4横書きに変わりました。
平成6年といっても、各自治体単位で電算化の実施時期が異なり、平成20年以降に電算化が完了した自治体も多くあります。例えば、戸籍電算化(コンピュータ化)の改製日が比較的遅れていた名古屋市は、東区・名東区は改製日が平成19年12月8日で、改製が遅れた区の中村区・南区は、改製日が平成23年10月29日と平成6年から17年後に電算化が完成しています。
また、平成6年(1994年)より以前生まれの方が死亡した場合、相続が発生する際には「改製原戸籍」が必要になります。また、亡くなられた被相続人の誕生年が古ければ古いほど、過去の改製原戸籍の取得が必要になります。大正3年生まれの方が亡くなられた場合、①平成6年式戸籍、②昭和23年式戸籍、③大正4年式戸籍が必要になります。